今日、06月28日は私の誕生日でございます。
何とか31年途切れる事なく生きてこれました。
ですが、私誕生日を赤の他人に祝われた事がありません。もっと言えば身内からも祝われた事がありません。
どういうことか詳しく話していきます。
私の母はエホバの証人の信者です。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、エホバの証人は誕生日を祝いません。私が1~2歳の時には既に母は信者だったので、私は当然祝われた事がありません(昔の写真を見ると兄の2歳の誕生日を祝っている写真がありました)。むしろそれが当然のように思っていました。
しかし年を重ねていく内に、誕生日を祝われた事が無いという事が不幸だという考え方になってきたのです。身内にも祝ってもらえないんだから、赤に他人に何か祝ってもらえた事がありません。本当は彼女や友達に「誕生日おめでとう」と一言でも言ってもらえると、「わぁ、すごく嬉しいんだろうなぁ・・・!」と想像しています。でも現実にはそんな人いません。彼女は勿論、友達も疎遠になっています。何とかおめでとうの一言が聞きたくて行動を起こそうとするのですが、エホバの証人の洗脳が溶け始めても、植え付けられた考え方はそう簡単に変わるものではありません。どうせ祝ってもらえないんだからと自分の誕生日を言うのが億劫だったり、誕生日の話題になると何となく話をはぐらかしたりしてました。そうやってアピールの手段を取らずに過ごしてしまったがために、今日、こういうひねくれた考え方を持つまでに至ります。
他の事もそうです。バレンタインデーも異教徒のやる事だと受け取るのは禁止、いじめられても反撃は禁止、女性とのお付き合いはエホバの証人同士と。幼稚園、小学校、中学校の約10年間の洗脳によって植え付けられた思考により、幾多のチャンスを逃し続けてきました(お恥ずかしい事に未だに彼女いない歴=年齢であります)。
母と以前話をしたのですが、母曰く「エホバの証人の集会に行くのは強制していない、エホバの教えを強制していない」と言います。じゃあバレンタインデーのチョコを受け取るなと言ったのは何だったんだ!いじめられて反撃したいといったらダメだと言い、耐えたらより酷くなったのはエホバがいじめられ好きのドMだからなのか!腰を怪我して集会を休むといったら「何考えてんだ!」と労りもしなかったのは何だったんだ!強制してんだろ!!!
エホバの証人曰く、先述した誘惑を持ってくるのはサタンという悪魔らしいのですが、私から見れば子供を洗脳して認知を歪め、脱落したらはいそれまでで放っておいて、自分はいつか来る方舟に乗って洪水から救われる、後は知らんという自分勝手な思考をしている人間こそサタンの手先ではないのか?同じ境遇の子供に、俺に対して恥ずかしくないのか!!!
今日は私の誕生日です。先程母から「今日誕生日だね」と言われました。こういう思考をしない、純粋な、4~5歳くらいに言ってくれればもうちょっと違う未来があったのかもしれないと思うと、何というか、切なくて、もやもやを身体の中を這う感覚を覚えます。23歳でうつ病を患い、今も治療中ですが、何とか命を落とさずに生きています。誕生日を祝われない事や彼女がいない事に落ち込みや苛立ちを覚えつつ、何かしらの原因を探しているうちにこんな文章になってしまいました。でも一つだけ、多分こうだろうと思う事があります。私も、母も、お互いにこう思っているでしょう。
「普通の親と普通に思い出を作りたかった」
「普通の息子が普通に働いて欲しかった」
と。